結局、場所より「人」。タイ・バンコクでの挫折体験とそこから得た学び




かおり
東南アジアを中心に海外ノマドワーカーをしている「書けるWEBデザイナー」の小林香織です

 

私は2019年3月〜4月の間、タイ・バンコクに短期移住していました。今回は私がタイで味わった苦しみと、その経験があったからこそ得られた「価値観の変化」を綴りたいと思います。

今となっては「タイ、めっちゃ楽しかった!」と胸を張って言えるんですが、当時は本当にしんどくて、枕を涙で濡らしていました…笑

でも、それもまた愛おしい人生の財産。このときの気持ちを忘れないように、書き留めておくことにしました。

単身タイへ「これが求めていたものだ」って思えた

そもそも私がタイでノマドワーカーをすることにしたのは、「時間を作ってWEB制作の勉強がしたかった」から。そして、本格的な海外移住・海外ノマドワーカーを経験してみたかったから。

タイにはそこそこ仲の良い友達もいるし、エンジニアシェアハウスを運営している知人もいる。加えて現地に住む日本人も大勢いるし、出会いはいくらでもあるはず。とくに心配事もなく、ウキウキしながら国境を越えました。

けれど実際にバンコクを訪れてみると、すれ違う日本人は駐在で来ているサラリーマンとその家族。おじさまたち、短期旅行者がほとんど。私が出会いたい20〜40代の現地で働いている自由人(飲んだり遊んだりできる人)は、見当たりませんでした。

最初は、日本食レストランがそこらじゅうにあって、日本製の化粧品も買えて、とにかく暮らすには困らないバンコクでの生活が快適だったんです。「今日は話題のあのカフェに行ってみよう」、そんなふうに自分で時間と場所を選べるワークスタイルも気に入っていたし、「これが私が求めていた自由だ」って思えた。

でも、その気持ちはわずか2週間でまったく別物に変わってしまいました。

バンコクの日系WEB制作会社から仕事を受注する

「WEB制作を勉強する」、それがバンコクに来た目的の一つなのだから、何か行動を起こさなければ。そう思って私は現地の日系WEB制作会社に声をかけました。「インターンでもいいから働かせてほしい」と。(この時点で、簡単なWEBページなら作れるぐらいのスキルは独学で身に付けていました)

すると、「何か一緒にやれることがあるか考えてみます」とのこと。言ってみるものだなと思い、お返事を待っていると、なんと「自社のグループ会社のWEBサイトをフォローしながら制作させてくれる」とのこと。

LPのような一枚もののWEBサイトで、「凝ったデザインにするつもりはないから、一緒にチャレンジしましょう」とのありがたいお言葉をいただき、「ぜひ!」と即答しました。

この企業ではデザインを外注するのが一般的なワークスタイルだったため、今回もデザインは外注して、私が担当するのは「コーディング」のみだと考えていたようですが、コーディングよりもデザインに魅力を感じていた私は、「デザインもやらせてください」とお願いし、やらせてもらうことに。当時は、コーディングよりもデザインに自信があったんです。

やや手探り状態ではあったものの、「これは絶対に自分の成長の糧になるチャレンジだ」と、意気揚々と仕事に臨みました。

孤独と挫折。心が壊れそうになり、ギブアップ…

通常、WEBサイトを制作する際は、「ワイヤーフレーム」と呼ばれる大雑把なデザインの枠組みと、ページの遷移を表示した「サイトマップ」を制作します。この工程までは、順調に進みました。

つまづいたのは、Photoshopを使って詳細なデザインを制作する段階。参考にしたいWEBサイトを探し、それをもとにクライアントの企業イメージに沿って、デザインを組み立てていきました。

デザインを提出すると「なんかピンとこない」とのこと。何度かやり取りを重ねて、修正の方向性は理解したものの、2回目もダメ。しかも、「OKを出すレベルには遠く及ばない」と。このままだといつまでもOKが出ない気がしたので、私はメンターを依頼して、デザイン添削をしてもらうことにしました。

「MENTA」というWEBサービスを使い、WEBデザインの実績が豊富な方に相談をして、細かく修正点を指摘してもらいました。そのアドバイスに則って写真からイラストへ変えたり、ごちゃごちゃしていたレイアウトを見やすく整理したり、色味を調整したり、現時点でできることは、すべてやり尽くした…と言えるところまでがんばりました。

ドキドキしつつ先方へ提出すると、「まだまだOKを出せそうもない」とのお返事が…。この言葉を聞いたとき、思考回路が止まった気がしました。

私のスキル不足は否めないものの、それ以上に先方とデザインの好みがまったく合わなかったというのが、今回のキツイところでした。不運も大いにあったけれど、この悔しさは言葉では言い表せないほど…。

実は同時期にプライベートでもうまくいかないことがあり、なおかつ周囲に会って話を聞いてくれる人もいませんでした。

異国での挫折と孤独。これは思っていたより、ずっとずっとツライものでした。「バンコクでWEBサイトを作りましたー!」とバンっと実績を打ち出すつもりだったのに、このままじゃ滞在中にOKが出そうもないし、これ以上どうしたらいいかもわからず、為す術がない。

精神状態が悪化しすぎて、まともな判断ができないと思った私は「大変申し訳ないのですが、今回は辞退させてください」と、先方に断りを入れました。

自由になっても、心地よいつながりがなければ意味がない

その後、私は図々しくも「悔しくて、このままじゃ日本に帰れないので、何か私にできることはないですか?」と先方に再交渉。いま思うと、本当に図々しいですね笑。

結果、とある会社のブログ改修案件をやらせてもらい、主にcssをイジって、ガラリとデザインイメージを変えたブログを完成させました。と言いたいところですが、最後の最後、つまづいてしまい解決できなかったところがありました…。でも、ここは経験者でも戸惑うところらしいので、まぁ良しとします。

ここまで読んでいただいた方はおわかりかと思いますが、私に仕事を発注してくれた企業の方は、めちゃくちゃ良い方だったんです。普通、途中で仕事を投げ出すような人に何か頼もうと思わないですよね。でも、異国に来て実力不足ながら果敢に挑んできた私に、少しでも実績を持ち帰ってほしいと配慮してくれたんだと思います。

この経験を通じて私が感じたのは、「人との濃いつながり」がない場所では、私は生きていけないということ。誰にとってもそうかもしれませんが、自由奔放なワークスタイルに居心地の良さを感じていたそれまでの私は、1人で気ままに仕事をして、現地での新鮮な出会いを楽しみながら、しばらく暮らすのもいいかなぁと思っていました。

でも、そんな薄いつながりでは、倒れそうになったときに支えてもらえない。親身になって相談に乗ってもらえないと嫌だし、おいしいものを食べたり、語り合ったり、長い時間を一緒に過ごしたい。もちろん相手にとっても、私がそんな存在でありたい。そんな濃いつながりがなければ、たくましく生きていけないんだなぁと、しみじみ感じたんです。

どこに住むかよりも、誰と住むか。何を食べるかよりも、誰と食べるか。何をするかよりも、誰とするか。結局、最終的に大事なのは人、人、人。

そんなことを言いつつ、私はまた旅立ちます。笑

散々「場所より人だ」と言いながらも、私はまた1人で海外に短期移住します(笑)。でも今度は、前回の失敗を踏まえて、ちゃんとルームメイトを見つけています。

最初から異国に1人でいるのは余りに寂しいので、現地に慣れ親しんだ方のお宅の1部屋をお借りすることに。一緒にいられるのはたった2週間ほどですが、どんな話ができるか、どんな関係性が作れるか、とっても楽しみです。

これからも異国を転々とする可能性は大いにありますが、今後はその土地でのコミュニティに属することを必須にします。具体的にはシェアハウスに住んだり、学校に通ったり、誰かと一緒に過ごすことがあたりまえの状態を作るようにします。

世界のどこかでお会いしたときは、ぜひ気軽に声をかけてくださいね!




ABOUTこの記事をかいた人

【フリーライター/北欧イノベーション研究家】1981年、埼玉県生まれ。「自由なライフスタイル」に憧れて、2016年にOLからフリーライターへ。【イノベーション、キャリア、海外文化】などの記事を執筆。2020年に拠点を北欧に移し、デンマークに6ヵ月、フィンランド・ヘルシンキに約1年長期滞在。現地スタートアップやカンファレンスを多数取材しました。2022年3月より東京拠点に戻しつつ、北欧イノベーションの研究を継続しています。