【30超えても夢は叶う】高卒・アイドル志望・転職15回の私が、33歳でフリーライターになるまで




フリーライターになって、早2年と4カ月。今まで数えきれないほどの記事を世の中に送り出してきたけれど、プロフィール的な自分自身を丸裸にする記事は書けていなかった。

現在、36歳の私があえて幼少期までさかのぼり、とくに満足しているわけでもない歴史を明るみに出すのは、「私を知ってほしい、そして愛してほしい」という素直な願望を伝えたいのと、「ただただ好きなように生きてきた私のような人間でも、ちゃんと夢を叶えることができた」という事実を知ってほしいから。

「いま自分には何もない」、「夢を叶えられる自信がない」、そう思っている人は、どのくらいいるだろうか。そんな人にこそ、この記事を読んでほしい。私の言葉が、あなたに届きますように。

生まれた瞬間から、ずっと人見知り

生まれたときから知らない人と接することに怯えていた私は、当然、家族以外にはかわいがられなかった。そのうえ家庭の事情で幼稚園に通わずに小学校に上がることになり、友だちの作り方を知らないまま大勢のなかに飛び込んだ結果、イジメに遭ってしまった。

当時、仕事と家事の両立に追われていた母親は、私がボソっと話す「学校でイジめられてる」という話は左から右へ流していたので、状況が変わることはなかった。酒グセが悪い父親には話そうとも思わなかった。

一度、私をイジめていた男の子に手提げ袋の持ち手をハサミで切られたことがあり、その手提げ袋を家に持ち帰ったとき、母ははじめて事態の深刻さを察したようだ。学校に行き担任にイジメの事実を伝えたものの、子どもをえこひいきする最低の担任だったので、状況は対して変わらなかったことを記憶している。

そして、私はイジメのストレスを1つ下の妹にぶつけることですべて発散していた。妹を叩き、罵声を浴びせ、泣かせていた。今思い出すと最低の姉だが、時を経て私たち姉妹は仲良しになれた。寛大な妹に感謝。

中学生になるとテニス部に所属し、少し人見知りはマシになったけれど、ニキビだらけの顔や謎のお腹の音に悩まされ、いつも「人から嫌われているんじゃないか」と自分をネガティブにとらえていた。もちろん恋愛はいつも片思いのまま。

高校生になると自分の魅せ方(メイクや洋服など)が少しわかってきて、男の子とも1対1でコミュニケーションがとれるようになり、バイトを始めて自由に使えるお金も手に入れた。稼いだお金で洋服を書い、カラオケに行き、ガストでたむろし、時々渋谷や原宿で遊んだ。

実はこのとき、家計は火の車で借金に追われていたらしい。母親に数十万のお金を貸していたが、若かったせいか、さして深刻にはとらえていなかった。

高校時代にスカウトされ、芸能界を志す

人生で一番浮かれていた高2のとき、友だちと原宿を歩いていてスカウトされた。私も友だちもスカウトされたが、事務所に話を聞きに行ったのは私だけ。

社会が汚れていることなんて何も知らなかった17歳の純粋な私は、即答で「やります!」と言った。事務所にさえ入れればデビューできると思ったから。

そもそも、なぜ私が芸能界に惹かれたかと言えば、小学生のときに見た「家なき子」で主人公・すずを演じた安達祐実、そして鮮烈なデビューを飾ったアイドル歌手「SPEED」にどうしようもなく憧れを持っていたからだ。

さらに言うと、当時の私はジャニーズグループ「V6」の中心的メンバー・森田剛が死ぬほど好きだった。森田剛と本気で結婚したかったし、芸能界で働き彼との接点ができれば、絶対に結婚できると思っていた(我ながらこの思い込み力すごい……)。

家計状態も良くなかったし大学には進学せず、ひたすらバイトに精を出し、稼いだお金を歌・ダンス・演技のレッスンに費やした。同時に片っ端からオーディションを受けたけど、仕事は雑誌の片隅の一般人モデルとCMのエキストラだけ。

そのうち、何もしてくれない事務所にも嫌気がさして、やめてしまった。続けていれば、もう少し誇れる実績を残せたかもしれないけれど、私にはそこまでのパワーがなかった。というか、そもそも歌うことも踊ることも演じることも、対して好きではなかったのだと思う。本当に好きなのは森田剛だけ……w



アグレッシブに転職を繰り返すこと15回

芸能界の表舞台で活躍することからは身を引いた私だったが、それでも森田剛への想いは消えることはなく、今度は裏方から彼に近づく作戦に方向転換する。だから、私の経歴は芸能関係にあふれているのだ。

18歳から、フリーライターになる33歳まで、気づけば15もの仕事を経験していた。経験した順番に羅列したので、興味がある人だけ見てほしい。

1、本の注文書整理(半年)
倉庫で書籍の注文書を仕分ける仕事。ひたすら地味w

2、タレント・俳優舞台役者(トータル2年)
結果は残せなかったけど、人生のなかで熱量高く取り組んでいたことなので、大事に胸にしまっておこうと思う。

3、芸能キャスティング(3週間)
新宿駅でサラリーマンに「さんまのからくりテレビ出ませんか?」などと、声をかけていた。

4、取り立て屋の事務(半年)
過去に流行ってたエロ画像関係の違法請求をする会社の事務。私の歴史のなかでもっともブラック。

5、光通信の事務(1ヶ月)
ブラックと名高い企業。でも、一瞬すぎて何も覚えてない……。

6、工場作業員(1週間)
7時間も同じこと繰り返してて頭おかしくなりそう&カラダも痛い→即やめる。

7、ハウススタジオ管理(2ヶ月)
知らなかったけど、ハウススタジオってエロビデオの撮影が多くて、女性の裸体を多数目撃。

8、浄水器と美顔器売る会社の事務(半年)
たまにテレアポもしたり……。もう二度とやりたくない仕事。

9、AD(半年)
テレ朝のバラエティ番組を担当。ルー大柴さんと沖縄の久米島でロケしたのが、一番の思い出。でも、これももう二度とやりたくない。

10、ジャニーズ関係(4年半)
森田剛に会いたい一心で入った会社。結局、会うことは叶ったけど接点はつくれなかった。というか、途中から彼氏ができてどうでもよくなったw その後、私の気持ちが森田氏に戻ることはなかった……。

11、音楽制作デスク(4年半)
この4年半で芸能界に抱いていたイメージが激変。一言でいえば大嫌いになった。仕事の一環で出会ったインディーズバンドにハマる。

12、食品会社の営業事務(1年半)
人生で一番まっとうな生活を送り、男性社員からチヤホヤされた。社内恋愛を2回経験。若いときからこういう会社で働いてたら、とっくに結婚してたんだろな・・・(遠い目)

13、アニメグッズの制作進行(1年)
最後までアニメの魅力がわからず挫折……。この頃から「一生続けたい仕事」を模索しはじめ、時間や場所にしばられない自由な環境で働きながら「強いメッセージを伝えていきたい」と思い、編集・ライター養成講座に通う。

14、キャリア系メデイアのライター・編集(9ヶ月)
いわゆる、こたつ記事をひたすら書く仕事。いろいろな葛藤があるなかで、「本当に価値ある記事はなんなのか」を考えはじめる。

32歳でライティングをはじめ、33歳で独立

アイドルに没頭し、とにかく「好きの対象」に近づきたい一心で、不器用なまま走りつづけてきた青春時代。自分でも本当に無計画な人生だなと呆れる。若いときから時代を先読みし、もっと自分の心の声としっかり向き合っていれば、今より自由に生きられていたかもしれないのに。

でも、それが私。誰かに自分の人生を押し付けることなんてできないし、自分の人生は自分にしか責任が取れない。与えられた時間を幸せに生きなければ。私を大事にしてくれた人たちを幸せにしなければ。

20代で迷いに迷った私は、31歳でライターという職業と出会い、32歳で副業でライティングをはじめ、33歳で勢いのままに独立を果たした。

いま、36歳になった私は「好きなことを追いかけながら、以前より自由なライフスタイル」を手に入れることができた。その好きなことのひとつが「旅」であり「誰かの人生を知ること」、そして、それを「言葉で伝えること」。

ここまで読んでくださった方は「あなたのこれまでの人生に”旅”なんてキーワードは出てきてないよね?」と思ったと思う。仕事を中心に見ると、私の人生は「旅」との関係性は薄いのだけれど、実は書ききれなかったプライベートでは大いに「旅」と関係している。

まぁ、このお話はいずれまた……(お会いする機会があれば、直接聞いてください)

私から伝えたいのはこの一言。「誇れるものなんてなくても、30超えてからでも夢は叶う」

以上。

 




ABOUTこの記事をかいた人

【フリーライター/北欧イノベーション研究家】1981年、埼玉県生まれ。「自由なライフスタイル」に憧れて、2016年にOLからフリーライターへ。【イノベーション、キャリア、海外文化】などの記事を執筆。2020年に拠点を北欧に移し、デンマークに6ヵ月、フィンランド・ヘルシンキに約1年長期滞在。現地スタートアップやカンファレンスを多数取材しました。2022年3月より東京拠点に戻しつつ、北欧イノベーションの研究を継続しています。