傷つかないように防波堤をつくる自分がキライ




私の人生最大の失恋は、23歳のとき。

相手は4つ年上で、当時、勤めていた会社の先輩だった。182cmの長身で、そこそこ男前で、よく周囲の女の子をからかって楽しんでいた、ちょっとチャラい人。仕事は、ほどほどにがんばるタイプ。

彼は女性の扱いをよくわかっていて、髪を切ったら「かわいくなったね」と褒めてくれ、どうでもいいようなメールのやりとりも毎日してくれた。会社で一緒に仕事をするだけだった彼と、徐々に会社の外でも会うようになり、その頃から先輩ではなく、ひとりの男性として意識するようになっていた。

若さ全開の私は、気持ちを抑えることなんて知らず、あふれ出る「好き」をストレートにぶつけた。

幸いなことに、彼にはそんなまっすぐな私が魅力的に映ったようで、箱根のデートに誘ってくれた。告白は遊覧船のなか。きっと、一番ロマンチックなタイミングを見計らってくれたんだと思う。

でも、私たちの付き合いはそう長く続かなかった。日々目まぐるしく動くエンタメの世界で、しかも夏の繁忙期に差し掛かり、まともに休みも取れない。取れたとしても、極限まで疲労が溜まっている彼とはまともなデートも叶わない。

ゆっくり会えない寂しさが募るなかで、徐々に彼の気持ちが遠ざかっていくのを感じた。

「このままだと終わってしまう」

どうにかしたいけれど、未熟すぎる私は、彼に「寂しい」「会いたい」と思いをぶつけることしかできなかった。それがかえって別れを早めてしまうことも知らずに。

そうして、わずか4ヶ月で別れのときを迎えた。この世の終わりのように泣きじゃくる私を置いて、彼は自分の部屋から出て行った。私に鍵を預け、「落ち着いたら出てね」と言った。

大好きな人と過ごす時間を失い、生きる屍のようになってしまった私だったけど、きちんと会社には行ったし、別れてからも半年間、常に彼が目に入るフロアで仕事をした。彼は相変わらず、女の子たちをからかって喜んでいた。仕事中に耐えきれず、何度もトイレで泣いたのも、今となってはいい思い出。

痛みを伴う失恋は、人を成長させる。

それから何度もつらい失恋を経験して、以前より自分の気持ちをコントロールできるようになったと思う。23歳のときに付き合った彼より、濃いお付き合いをした相手もいるけれど、失恋の痛みは23歳のときを超えるほどではなかった。

20代後半になって付き合った人も、30代になって付き合った人も、みんな心から好きだった。それなのに、失恋の痛みは薄れていく。

それは、傷つかないように私が心のなかに「防波堤」をつくっているから。きっとそう。全力で好きだと思っていても、どこかで気持ちを抑えている。だって、もし彼を失っても、私はいつも通り笑顔を見せながら仕事をしなければいけないし、心を許した友達の前でも、我を忘れて泣くことはできない。引くぐらい泣いても友達は受け止めてくれるかもしれないけれど、私はそれができるタイプの人間じゃない。お酒に逃げたら、より悲惨な人生になるに決まってる。

気持ちをセーブすることは、滞りなく現実生活を送るために、知らぬ間に身についた防衛本能なのかもしれない。

大人になったんだ。そうやって片付ければいい話かもしれないけど、なんだか目に映る景色が色褪せてしまったような虚しさを感じて、どうしようもない。無意識に自分が望んだことなのに、今はそんな自分がキライ。何より生きてるっていう実感が湧かない。

日常生活が退屈に感じてしまうのは、自分が退屈な人間になっているから。認めたくないけど、それは紛れもない事実だ。年齢のせいにする前に、まだやれることがある。

美しいものに反応して、いちいちトキめいてみる。好きだと思ったら、素直に「好き」と口に出す。悲しいときは、顔をしわくちゃにして泣く。

成長してるのか、していないのか、わからないけど。

 




ABOUTこの記事をかいた人

【フリーライター/北欧イノベーション研究家】1981年、埼玉県生まれ。「自由なライフスタイル」に憧れて、2016年にOLからフリーライターへ。【イノベーション、キャリア、海外文化】などの記事を執筆。2020年に拠点を北欧に移し、デンマークに6ヵ月、フィンランド・ヘルシンキに約1年長期滞在。現地スタートアップやカンファレンスを多数取材しました。2022年3月より東京拠点に戻しつつ、北欧イノベーションの研究を継続しています。