旅と仕事を両立できるライフスタイルを送りたい。それは私が、ライターを志したときに抱いた想い。いま現在、思い描いていた未来図がグッと近づいてきたことを実感しています。そこで、私がどのようにして「旅と仕事を両立させるにいたったかを書き留めておきたいと思います。
私と同じように「時間と場所にしばられない働き方がしたい」「好きなタイミングで旅を楽しみたい」人に届けば……と願いを込めて綴ります。
編集・ライター養成講座に通ってみた

「ライターになりたい!」そう思って、一番に私がとった行動は「スクールに通うこと」でした。「ライター スクール」とググってトップに出てきた「編集・ライター養成講座」の説明会に行ってみることに。
これは株式会社宣伝会議が運営する講座で、ライター/編集者になりたい人のためのスクール。ライターの仕事内容、業界知識、読まれる文章の書き方、発想力を鍛える方法、キャリアアップについてなど、ライターになるために知っておきたい知識が得られるスクールです。
右も左もわからなかったので、半年かけてこの講座に通うことを決め、毎週土曜の午後から夕方まで、この講座に時間を費やしました。費用は17万円弱。
結果として、私はこの講座に通ってよかったと思っています。ちゃんとライターになれたし、今でも仲良しの友達ができたし、宣伝会議さんからもいくつかお仕事をいただいたし、十分に元は取れました。
WEBライターデビュー。ひたすら書いた

2013年5月から半年間スクールに通って、私がライターデビューしたのは2014年11月。もっと努力すれば、他の受講生のように卒業してすぐライターになれたはずですが、私はやや遅れてスタートダッシュを切りました。
「私がライターになれるのかな」と不安があって、もやもやしてる期間があったから。けど「やっぱりあきらめたくない! 挑戦してみよう」と思い、とあるWEBサイトのライターコンテストに応募しました。それが、私がデビューしたニュースサイトの「しらべぇ」です。
スクールで習ったことを思い出しつつ、課題の記事を仕上げてドキドキしながら送ったところ、「入賞しました」とのお返事が!! このときは、心底うれしくてガッツポーズしました。
副業でライターを始めた私は、しらべぇで月に数本の原稿を書きながら、他の媒体の「ライター募集」にも応募。同時に転職活動もして、専属ライターとして勤務できる会社を見つけました。スムーズに進んだように書いていますが、それなりに大変だったと思います。
「プロはそんな書き方しないよ」と編集さんに何度も指摘されたし、ネタを探すのにテレビ・ネット・本などを見まくったし、副業だったので体力的にもしんどかった。でも、この努力があったから、しらべぇでの実績を武器に次のステップを踏むことができたんです。とにかく、一に行動、二に行動。へこたれても行動あるのみ。
書いてフィードバックもらう、書いてフィードバックもらう。シンプルですが、この行動が私を成長させてくれました。当時の編集さんには頭が上がりません。
しらべぇ時代に、はじめてのヤフートピックス掲載も経験。(ニューヨーク旅行のついでに取材した、スタバ系列のカフェレポートでした)このときは涙が出ましたね……。
専属ライターとしての9ヵ月間は「暗黒時代」

私が専属ライターとして勤務した会社は、ひたすら”コタツ記事”を書く仕事でした。コタツ記事とは、取材をせずネット上の情報を頼りに書く記事のこと。毎日、いくつものキーワードを与えられ、ネットで情報を漁りながら、5〜10記事を生成していました。
きちんと内容や文章をチェックしてくれる先輩もいない、なんなら社内で一番ライター経験があるのが私。そんな状況でスキルアップが望めるワケもなく、だんだんと未来が見えなくなりました。
数ヶ月してから「オリジナル企画の記事を書いてみてほしい」と言われ、試しに1記事書いてみたところ、なんとめちゃくちゃバズったんです(とはいえ、粗さが目立つので掲載は控えさせてください)。NEWSPICSにもピックされ、社内がザワついたほど。笑
「またバズを書いてほしい」と言われ、必死に取り組むもハズレ連発。それもそのはず。1記事目がバズったのは、ただの偶然で、私にはそんな力なんてなかったからです。
そのうち「無理っぽいね〜」みたいな感じの空気になり、社長もリーダーも何も言わなくなりました。そして、またキーワードを使ったコタツ記事を量産する日々に逆戻り。体制的にあまりに適当な記事の作り方をしていたので、たびたび炎上していたのに、経営陣はそのやり方を変えることはしませんでした。
「ここでは成長が鈍る」と判断した私は、契約更新をせずに退社。トータル9ヵ月の勤務期間でした。
フリーライターデビュー。不安定な3ヶ月間

会社を辞めたあと、2ヶ月間は雇用保険の手当をもらいながら生活をやりくりしつつ、業務委託で働ける企業を手当たり次第、探しました。このときは手当が心の支えでした。これがあったから、私は余裕をもってフリーランスになる準備ができたんです。
そうして2016年1月、フリーライターとしてデビュー。1月1日が独立記念日なので、一生忘れることはないでしょう。笑
独立するときは「1年生活できるだけの貯金を用意しておこう」とアドバイスする人が多いんですが、私は1年分の貯金なんて、さらさらありませんでした。とはいえ、いつ、どんな状態になるかわからないので、貯金はあるに越したことはないです。
独立してからはSNSで書いた記事をアピールしたり、ライター募集に応募したり、ライター交流会や勉強会に顔を出したりしながら、書ける媒体を増やしていきました。
ここでライターの支払いサイクルについて触れておくと、一般的なのは「記事を納品or公開」したタイミングで請求。翌月末に振込です。公開ベースでの請求の場合、納品してから翌々月末や翌々々月末なんてことも……。基本的に公開タイミングは編集やクライアントに権限があるため、ライターが左右するのは難しいです。(雑誌なんかもたぶん同じ)
そんな事情もあり、最初の3ヶ月は売上が安定せず……。フリーランスなら誰でもそうだと思いますが、この時期を乗り越えると、だんだんと安定してきます。
不安定な3ヶ月をなんとか乗り越え、私の売上も起動に乗ってきました。このときは、インタビュー記事とそれ以外の記事(電話取材や本・ネットリサーチを元に書く記事)が半々ぐらいだった気がします。
とにかく記名で書ける記事を増やすこと、それだけを考えて、ひたすらPCと向き合う日々でした。
2年目から「旅と仕事の両立」にチャレンジ
1年間、たくさんの記事を書き、実績を積んだ私は、2年目からいよいよ「旅と仕事の両立」へのチャレンジを開始しました。
最初に訪れたのは、タイのチェンマイ。「日本でインタビューした原稿を現地で書く」という、よくあるノマドスタイルの他に、現地取材も敢行しました。そのときの記事がこちら。
「自分らしさはどうやって見つければいい?」—タイ・チェンマイ在住の抽象表現者・Kanae Nico×恋する旅ライターかおり【好きを追求するフリーランスのガチトークVol.1】
インタビューさせていただいたKanaeさんは、ネットで「チェンマイ フリーランス」とリサーチして見つけた方。本業の画家のほか、アルバイトで現地のガイドをしていたKanaeさんにコンタクトを取り、取材をさせていただいたのでした。
その他、チェンマイにある養護施設「バーンロムサイ」にも取材で訪れました。ここはHIVに母子感染した孤児たちの生活施設で、日本人の方が運営されています。こちらもネットリサーチで発見しました。
スポーツに宿る無限の可能性ータイの児童養護施設でサッカーによって生まれた「揺るがない絆」(前編)
人なつっこい子供たちばかりで、とても病気や家族の問題で悩んでいるようには見えなかった。でも表面上は見えなくても、小さい身体で複雑な思いを抱えているんだろうなと思います。たくましく生き抜いてほしいと願うばかり。魂を込めて書いたので、今でも忘れられない記事の1つです。
ちなみに、媒体には自ら売り込みをかけました。「旅先で取材して記事を書きたい」という私の思いを編集長にぶつけ、企画を提案したところ「OK」をいただき、取材が現実になりました。熱意があれば、やりたいことを仕事に結びつけるのも不可能じゃないです。物怖じせず、願いはどんどん口にするべき。
運良く「0円留学枠」をゲット。バリ島プチ移住も経験

そうやって、旅先でのノマドワークや取材記事の執筆をして、少しずつ「旅と仕事の両立」を実験していったところ、2017年11月、大きな転機が訪れます。
なんと「セブ島の0円留学枠」を手に入れ、無料でセブ島に語学留学ができることになったんです。これも、自ら枠を見つけて応募した結果、「ぜひ来てください」とお返事をいただいたものでした。
当時、私はライター一本でなんとか食べていけるぐらいのスキルはあったものの、影響力はほぼゼロ。そんな状態でも無料の留学枠をいただき、「セブ島マナビジン(旧:俺のセブ島留学)」で連載を持ち、セブ島で10以上の取材記事を書かせていただきました。当時、連載していた留学レポがこちら。

セブ島マナビジン(旧:俺のセブ島留学)より
引っ越しか留学か。迷える私に届いた『一芸留学』という名のラッキーカード
私の気合があふれまくったこの連載。おかげさまで8記事も書かせていただきました。

6週間のセブ島留学を終えたあとは、3週間のバリ島プチ移住を経験。ここでも、いくつかのWEB記事を執筆。そう、海外でも取材しようと思えばできるんです。バリ島では事前リサーチの時間が取れなかったため、現地で取材対象を見つけて「あさって取材させてください!」とアタック。笑 意外と熱意さえあれば、OKしてもらえます。
ここまで、ものすごく順調そうに見えますが、実はバリ島移住にはちょっとした落とし穴がありました……。
貯金がなくなり、貧乏まっしぐら……

私、バリ島ってかなり物価が安いと思っていたんです。ですが、現地についてみると思いの外、物価が高く、観光地はホテルも飲食店も日本とそこまで大差ない感じ……。
ローカルの人たちが行くような食堂で食事を済ませれば節約できますが、私にはそんな勇気はなく、常に観光客用のレストランで食事をしていたため、けっこう高くつきました。1食700円〜1,000円ぐらいだったかと。
滞在中に1泊1,000円ちょっとの部屋に数日泊まってみたところ、この世で一番キライな虫に何匹も遭遇して、安宿を選んだことを死ぬほど後悔。すぐに日本人が経営する安心できるホテルに移りました。そうなると、1日の宿泊費は5,000〜6,000円。どんどんお金が消えていきました。

でも、せっかく来たのだから楽しみたいしブログのネタも欲しい! と思って、各地のコワーキングスペースを回ったり、伝統的なクチャダンスを鑑賞したり、伝統衣装を着て撮影したり、オシャレな雑貨を購入したり、節約よりも体験を買ってしまった。
・バリの物価が予想外に高かったこと
・事前リサーチ不足で、バリでライターの仕事があまりできなかったこと
・日本で新しく家を借りて生活を始める必要があったこと
上記のような理由により、私の貯金はみるみるうちになくなりました……。思いきって海外に出て、英語を勉強したり、ノマドワークしたり、海外ライフを楽しんだりして、実りある2ヶ月を送れたものの、その結果「貧乏」を味わうハメになったのでした。
東京で仕事に打ち込みつつ、リモート案件を探した

セブ島留学→バリ島プチ移住から帰国したのが、2017年12月。そこから1年間は、ひたすら東京で仕事と英語の勉強に打ち込みました。お金を稼ぐ必要があったし、まだまだ英語スキルが足りなかったから。
東京のインタビュー記事のお仕事を増やしながら、条件のいいリモート案件も積極的に探しました。ちなみに、条件のいいリモート案件は、けっこうレアだと思います。1記事1,000円みたいなお仕事はいくらでもありますが、1万円を超えるものはそう多くないんじゃないかなって。
私が今、担当しているリモート案件は、条件が良く書いていて勉強になる記事が多いです。ジャンルは「恋愛」「ウェディング」「マーケティング」など。
これらの仕事をどうやって得たかというと、
・これまで長くお付き合いしてきた企業さまに、リモートの仕事を回してもらった
・過去にお付き合いのあった方に、たまたま紹介してもらった
・「リモート可」のライター案件をWEB上で見つけて応募した
思いきって方向性を変えたりはしていませんが、徐々に「リモート」の割合を増やしていったところ、毎月、半分以上の売上をリモート案件で得られるようになっていました。
2019年2月、再び東南アジアへ。今の仕事の状況は?

貧乏な状態も脱することができたので、私は再び東南アジアに短期移住することを決意。この移住の目的は、ただひとつ。
「デザイン&プログラミングを学ぶこと」
ライターとして、ある程度、仕事が安定するようになってきたけれど、それでもWEB媒体が休止したり、担当者が変更になって依頼がストップしたり、クライアントに振り回されることも少なくない。もっと時間と場所にしばられないライフスタイルを確立するためには、PC一つでできることを増やすのがベストなのでは。そう思ったからです。
東京で暮らしていると生活費・保険料・税金でけっこうな額が消えてしまうので、アジアの中でも物価が安く、安定して暮らせそうな国(フィリピン・タイ)を選びました。
いま私は、フィリピン・セブ島のITシェアハウスにいます。約3週間の滞在期間のなかで、このブログの2P分をリニューアルし、公開するところまでを目標にしています。(相当苦戦してますが…がんばります!)
※追記
無事に完成しました!
勉強中心の日々ではありますが、リモートでライターの仕事も安定的にこなしています。かなり勉強に時間を割いているのに、月の平均収入の半分ちょっとを稼ぐことができているのは、自分でも驚きの事実。勉強7割、仕事3割ぐらいの割合です。

「自由なライフスタイルを送りたい」と願ってOLからフリーランスになり、3年2ヵ月。ようやく私は「旅と仕事を両立する生活」を安定して送れるところまできました。
とはいえ、今いただいているお仕事がずっと続く保証なんて1ミリもない。自分の価値を高めていく努力をするしかありません。いつか自分でサービスを生み出せたらと思うと同時に、同じビジョンを掲げて並走できる「仲間」も求めています。
私のように未経験からライターになった人でも、想いを発信し、あきらめずに行動することでチャンスはいくらでも巡ってきます。旅と仕事を両立したい方はもちろん、理想のライフスタイルを追い求めているすべてのみなさん、一緒に人生を楽しみ尽くしましょう〜!!